シティフォン(CT2)の記憶。

ウィルコム会社更生法適用申請のニュースが流れて以来、自分もひと頃アクティブユーザーだった「PHS」について、数年間忘れかけていたさまざまな記憶、思い出が周辺や関連のものも含めてどんどん蘇ってきているのですが、韓国で「シティフォン(City Phone=시티폰、読みは「シティポン」)」の名でサービスされていた、PHSから着信機能を取り払ったような発信専用の簡易型携帯電話CT2(Cordless Telephone 2)」もそのひとつです。
「ソウル移動通信」のシティフォンCM動画(1997年)
CMキャラクターは人気コメディアンの李洪烈(이홍렬)。97年のサービス開始直後に頻繁に流れていたもので、数あるシティフォンのCMの中でも一番面白く、最も印象に残ったのがこれでした。韓国でもそう思っている人が多いようで、実際、上の動画サイトでもほかのシティフォンのCMと比べて閲覧件数がダントツです。あらすじは地方からソウルに出てきた李洪烈が公衆電話ボックスに行ってみると凄い行列、しかもテレホンカード専用の電話機なので硬貨では通話もできず途方に暮れていたところ、若い女の子がシティフォンを貸してくれて、めでたく通話ができた…というもの。
CT2はその名の通り「第2世代コードレスフォン」として欧州で構想されたもので、家デンの子機を持ち出して街中でケータイ風に使えるように、という発想はPHSと同じです。CT2は欧州、韓国のほか香港や台湾でもサービスが行われていたようで、周波数は国により800〜900MHz帯が使われていたそうです。現在も欧州などでコードレスフォン兼用の移動体電話「DECT」がサービスされていますが、その前身にあたるのがCT2です。
シティフォンは1997年から2000年初頭までサービスが行われました。ネーミングは、NTTドコモが東名阪エリア限定でやっていた1.5GHz帯第二世代(PDC)携帯電話サービスの関東・東海地区における愛称とは、もちろん全くの無関係です。確かサービス導入自体は90年代の前半、PHSがまだ「PHP」と呼ばれていた頃には決定済みで、「シティフォン」というブランドもドコモ1.5GHz帯PDCより先に発表されていたのを覚えていますが、主に政治的な理由から大幅に導入が遅れたようです。韓国でサービスインする頃には香港ではすでにサービス終了済み、台湾や欧州でも風前の灯火となっていたので、韓国でも最初から先行きを危ぶむ声、中止を求める声があったものです。
シティフォンは900MHz帯を使い、日本のPHSのように公衆電話ボックスや電柱に小型の基地局が展開され、音声もPHSと同じく32kbpsのADPCMでした。韓国で何回か使わせてもらったことがありますが、音質の印象は本当にPHSそのものでした。しかし、PHSと比べると技術的な古さは否めず、着信ができない上にハンドオーバーもないので、移動は接続中の基地局のカバーエリア(せいぜい半径200m程度)に限られました。そもそも「シティ」と付いているようにエリアは都市部が中心で、郊外ではほとんど使えなかったそうです。こうした特徴から「無線公衆電話」と表現されることもあったものです。
シティフォン開始当時の韓国は携帯電話の普及率がまだ低かったことから、通話料や端末価格の安さから「庶民の携帯電話」として期待され、最盛期で70万人の加入者を集めたそうです。発信通話のみ可能だったことから、先のソウル移動通信のCMにも出てきたように、着信の代替手段としてページャー(ポケベル、韓国では通称「ピピ」)との併用が推奨されていました。
ソウル移動通信をはじめ、シティフォンをサービスしていたのは、当時は固定通信専業でピピも携帯もなかった韓国通信(現KT)を除き、すべて地域ごとのページャー事業者(日本の都道府県にあたる「道」単位で存在)でしたので、ピピとの相乗効果も期待されたものです。
しかし、97年後半に発生したアジア金融危機により、韓国政府がIMFへの救済融資を要請するなど経済の悪化した時期と重なった不運もあってシティフォンの加入者は激減し、事業者側も98年2月にはソウル移動通信が最初に撤退を表明。以後、ほかの地域事業者も相次いで撤退し、設備は韓国通信が引き取りました。
さらに、99年以降韓国経済が徐々に好転へと向かう一方、シティフォンにやや遅れてサービスインしながら、直後に発生した金融危機により立ち上げに苦しんでいた「PCS(Personal Communications Service)」こと1.8GHz帯CDMA携帯電話キャリア3社(現在のKT携帯電話事業の前身2社とLG Telecom)が、SK Telecomなどの既存の800MHz帯携帯に比べて安い料金体系を武器に徐々に加入者数を伸ばしはじめたことで、シティフォンの劣勢は決定的となり、結局、サービスインから3年を待たずしての完全撤退となりました。
こうして消滅したシティフォンは、韓国の通信事業と通信行政の歴史上、最大の失敗例として語り継がれています。地域事業者のその後は、ソウル移動通信のように今なお本来のピピ業者として存続している会社もあれば、倒産・解散したり他社に吸収合併されたり別目的の会社になっていたりと、さまざまです。
そういえばPHSとPCS、名前が似ていて周波数帯も近く、どちらもセルラー(既存の800MHz帯携帯電話)より安い料金設定ということで、韓国で1.8GHz帯キャリアがサービスインした頃、日本事情に疎いITやメディアの関係者の中には両者を混同していたケースも少なくなく、当時韓国のソフトハウスの日本支社で働いていた自分は「PHSはPCSとは無関係で、むしろシティフォンに近く、シティフォンに着信が付いてハンドオーバーできるようになったのがPHS」といつも説明していたものです。今ではかつてPCSキャリアを名乗っていた事業者もPCSという名称の使用をやめている上、KTはW-CDMAが主力になってしまいましたので、そんな混乱も過去のものになってしまいましたが。
ちなみに国際的には「PCS」という用語はCDMAGSMといった方式の違いに関係なく、1.8〜1.9GHz帯を使う携帯電話サービス(韓国以外だと米国のSprint NextelとかT-Mobile US)や、その周波数帯自体を指して使われることが多いようですね。