三菱(D)撤退に寄せて。

三洋電機に続き、またひとつ日本の携帯電話メーカーが消滅。アナログからPDCまでは旧電電公社時代からの有力サプライヤーの1社として、ドコモにおいてはそれなりの地位を占めていた三菱電機ですが、FOMA端末の初期にいくつか失敗して以降、雲行きが怪しくなってしまったような印象があります。超短命(ライフサイクル・電池の持ちともに…)で超レア端末となったD2101Vと、900iシリーズの中では他に大きく遅れて(P900iVF900iTが出た頃)最後の登場となり、バグの多さでも記憶に残ったD900iが思い出されます。
その後、富士通とのSymbian OS+MOAPベースでの共同開発や、D902i/iSあたりの大ヒットによって持ち直したかに思われましたが、Vodafone(当時)から撤退してドコモ依存度100%となった挙げ句、905i以降の割賦導入による旧機種の不良在庫化の影響を最も強く受けてしまったのが、規模と体力で他社に劣るDだったようです。あとはD800iDS(2画面タッチパネル液晶)とかMUSIC PORTER X(モバHO!のラジオだけ聴けた、ミリタリーグリーンな端末)とかの、いかにも売れなさそうな企画端末を多数出していた(出させられていた?)のもDでした。この辺は台数も少なく、開発費の回収すら困難だったことでしょう。ドコモからの支援は通常機種より多めに出ていたことでしょうが、それでもメーカー側の持ち出しがかなりあったはず。
D端末で自分で購入したことがあるのはFOMA D901iSだけです。D901i以降この機種も含め、Dといえばスライド型でしたが、ヨコ撮りスタイルの折り畳み機D505iあたりは当時周囲にユーザーが多かった機種で、懐かしいですね。もっと遡ればフリップタイプのDII HYPERとかは当時その高性能から名機と言われていて、自分も憧れていたものです(でも端末代と通話料の高さから現実的な選択肢になりえず、結局、開業したばかりのNCCであったツーカーセルラー東京を選んでしまったわけですが…)。そういえば、スライドの前は、D端末といえばフリップが代名詞となっていたものです。
あとは個人的に思い出深いのは、J-PHONEに出していたgraphica(J-D06)。当時の取引先に熱心な愛用者がいたのですが、折り畳み全盛期にストレートで登場したこの機種は、中身はともかくデザインと色使いが斬新でした。


個人的にはD901iSは電池の持ち(情報表示行OFFである程度改善しましたが…まあでも今にして思えば、一般的なスマートフォンよりはかなりマシです(笑))と動作のもっさり感(901世代までのFOMAはすべてそうでしたが…)を除けば、結構気に入って使っていた機種でした。電波の掴みは良い方でしたし、レンズカバー付きのカメラの性能も当時の平均水準を上回り、FOMA端末の中では一番使い込んだ機種かもしれません。
自分は国産端末をメイン機として使わなくなって久しく、仮にDが事業を継続していたとして買う機会があったかどうかは???ですが、一時代を築いたメーカーが消えてしまうのは、やはり寂しいです。