【長文御免】私的マルチリンガル・コンピューティング史

今から17年前、1993年の話になりますが、日本で初めての「パソコンで世界の多種多様な言語を扱うための本」という触れ込みで出版された単行本『電脳外国語大学』(技術評論社刊)というのに関わらせていただいたことがあります。とりあえず当時の日本において、韓国のPCとアプリの事情に最も精通していたのがどうやら自分らしい(今はもっと詳しい方が大勢いらっしゃると思います)ということで、この企画の発起人にしてまとめ役、かつ筆頭著者でもあられた、某国際的な事務機会社の方からお声を掛けていただきました。
類書がなかった上に、その頃は書籍もよく売れた時代で、確か3刷までは行ったように記憶しています。実は今、実物が手許にない(家のどこかに3冊ほど残っているはずなのですが…)のですが、執筆には確か20人以上が関わっていて、しかもパソコンの本だというのに、ほとんどが文系の執筆者(含自分)、リアル外大の先生方を含む学者さん中心。当時までのパソコン書籍史上に前例のない、ある意味画期的な本だったと思います。中身はその頃多言語に圧倒的に強かったのが明らかにMacintoshだったこともあり、当時の市場シェアの割にMacの話が比較的多かったのが特徴です。担当の編集者さんお2方もMac使い(同じ版元から出ていたMac雑誌との掛け持ち)でしたし。
Macでは当時のPC/AT互換機で難しかった東アジア複数言語の混在表示・入力すら、やり方次第で可能だったのですが、自分は16ビット機に転向して以来ほぼPC/AT互換機一筋だったので、多言語を扱うならMacに分があることは重々承知の上ながら、DOSWindows 3.x、OS/2でのマルチリンガルの探究と実践に日々励んでいました。ただ、Macと比べるとAT互換機は普及台数が圧倒的に多く、その言語を扱う国で最もポピュラーなアプリも例外なくAT互換機用のものでしたので、本国と共通のメジャーアプリが日本でも使える、という点にAT互換機のアドバンテージがあったと思っています。
とにかく、ひと頃は知人経由や自分で直接も含め、ハングル版のMS-DOSDOS/V*1WindowsOS/2などを手に入れ、OS/2のブートマネージャやSystem Commanderなどを総動員してマルチブートで動かしたりしていたものです。Windows 95のハングル版なんて、発売当日に韓国まで買い出しに行きましたから。
…そうです。当時はVADA/イヤギとかアレアハングルとかの入力・表示内蔵型アプリでない限り、日本語環境上でハングルのアプリを使うことはできず、OSそのものをマルチブートで切り替えるしか手がなかったのです。まあDOSとかはすぐ起動したので、さほど苦にはなりませんでしたし、まだDOSプロンプトから「C:\>win」と起動していたWindows 3.1の頃は、日本語DOS上でハングルのWin3.1が動かせたりもしたので逆に便利だったのですが、Windows 95以降はマルチブートしか手段がないので大変でした。あとOS/2にある、本物のDOSカーネル仮想マシン上で動かす「特定DOS」という機能を使って、ハングル版のDOSを動かしてみたりもしました。たぶんそんなことをやっていたのは、日本でも自分だけだったでしょうね。
その後、Windows 95の時代にInternet ExplorerMicrosoft OfficeといったMSのアプリ上だけで使えるCJK(中日韓。日本語も他の言語版のOS上では外国語ですから…)入力アプリ「Global IME」などというものが出てきたのを経て、「電脳外大」出版から7年が経過した2000年初、Unicode 2.1を採用したWindows 2000が出てきたことで、AT互換機(x86マシン)でのマルチリンガル環境の整備はほぼ終わったと思います。
インストール時からオプションで日本以外の2バイト圏の外国語(繁・簡体中文やハングル)のIMEが組み込め、しかもMS製ソフトはもちろん、汎用テキストエディタやメールソフトといった、Unicodeに対応するあらゆるアプリで2バイト圏の外国語が扱えるようになりました。この特徴はXPになっても引き継がれ、XPでは非Unicodeアプリで使うコードページ(Unicode以前からある言語別の文字コード表)を日本語以外に設定できる機能さえ標準装備となりました。ようやくメインストリームのOSでの多言語サポートが実現・定着し、マルチブートや専用アプリから開放されることになったわけです。
Unicodeの制定作業は「電脳外大」以前から始まっていて、同書でも言及されていたものの、OSに実装した例はまだなく、しかも当時は「各言語の独自性を無視し、機械的に1つの体系にまとめようとするもの」として批判的な論調が目立っていたものです。そうした批判は東アジアにおいては1996年のUnicode 2.0でほぼ収束したようですが、漢字の字形の問題は未解決のまま残り、今に至るまで幾度となくぶり返されてきました。最近だとAndroidの標準フォントがそうですね。まあ、日本語を母国語とする人が使う分には、日本語字形のフォントを被せれば解決するだけの話でもあるのですが(要rootだとかは置いておいて)。
そんなUnicodeですが、もはやその存在が空気のように当たり前すぎて恩恵を忘れてしまうほど、便利な世の中になったと思います。しかし、その便利さがPCからモバイルOSにまで降りてくるには、スマートフォンの登場を待たなければなりませんでした。
Windows Mobileはつい最近まで、多言語対応の面で最も進んだモバイルOSだったと思います。NLS(National Language Support、この概念もDOS時代からのものです)を実装してコードページやロケール(年号や日付、時刻表示、通貨単位といった地域別に異なる表記法)の切り替えができ、入力アプリ(IMESIP)も選ぶことができます。しかし、東アジア言語の切り替えは標準状態ではサポートされず、IMEも東アジア言語については同時に使えるのは1言語分だけで、切り替えるにはレジストリレベルの書き換えが必要となるなど、未だに完全とは言えません(もしかすると、この辺はWindows Phone 7 Seriesで変わる部分なのでしょうか)。
まあ、WMの多言語スペックをフル活用すべく、東アジアの複数言語に対応した巨大なNLS(ヌルズ)とかフォント、IMEなどをすべて組み込むとなると、実行メモリ・ストレージともに結構な容量が必要となりますし、数年前までの実行用メモリ64MB/ストレージ128MB前後が標準的だった状態では、日本語を扱うだけですら不足だったものです(再起動時のSIP読み込みにすら失敗したりとか)。
最近、ハングルでTwitterを始めてみたりとか、久々に韓国の人とメールをやりとりする量が増えたりとかで、必要な時にすぐハングルが入力できるデバイスが欲しかったりするのですが、WMでは今のところProfessional/Pocket PC系でMSIME、WnnATOK等による日本語SIP/キーボード入力と、DioPenによるハングル手書き入力の組み合わせが関の山です。Standard/MS Smartphone系に至っては、表示が精いっぱいです。ハングルキーボード入力を行うには、日本語IMEを設定上(レジストリ上)削除してからハングルIMEを入れる必要があり、ひと頃は日本語用とハングル用のレジストリをそれぞれ用意してインポート→再起動という方法で、両者を使い分けていたこともあります。
その点、iPhoneとかAndroidは「後出しジャンケン」であることもあってか、羨ましくも憎らしいほどよく出来ていると思います。まあ、WM端末よりも平均的なメモリの容量が多めだったり、iPhoneの場合はシングルタスクのおかげもあると思うのですが、入力は何言語分でも組み込んで切り替えられますし、最初からUnicode環境しかない状態で開発されたアプリは、多言語入力が問題ないものばかりです。特にAndroidは今年に入って韓国でも初の実機が発売され、盛り上がりつつありますので、多様な入力環境の登場が期待できると思っています。
しかし、iPhoneのOS 2.0以降でハングルが扱えることは結構知られていると思うのですが、Androidでハングル入力を実践している人はまだ少ないのか、何か情報を得ようと「Android ハングル」でググってみたら、Android端末を持っておらず、WM端末上でエミュレータ的にしか使ったことのないこの自分のblogが未だにトップにあったりするのは、もったいないなあ、というか、ちょっと複雑な気分にさせられます。まあ中国語に関しては実践例が多いようですし、言語の需要の差もあるのでしょうけどね。

*1:あまり知られていないと思いますが、日本IBMで開発されたDOS/Vには日本語版以外にハングル、繁体中文、簡体中文版が存在しており、それぞれの言語の該当国/地域のIBM現地法人を通じて市販されていました。確かPS/55 noteかPS/V(またはその相当品)の各国/地域での発売時に、低コストでローカライズを行う目的で移植されたのだと聞いたように思います。動作原理や画面モードは日本語版と同じで、英語版DOSに現地語の表示と入力機能を組み込む他のソフトウェアソリューション、例えば韓国の「ハンメハングル」や台湾の「倚天中文系統」のように、画面モードが英語アプリと互換ということはありませんでした。つまり、英語アプリを使うにはCHEVやCHCPコマンドで画面モードを切り替える必要があり、その上で現地語を使うことはできなかったわけで、既存のDOS用現地語ソリューションに比べて機能的に劣るためか、5.0x/Vで打ち止めになってしまったと記憶しています。ちなみに韓国IBMにはハンメハングルをOEM調達して搭載した「IBM DOS H5.0/K」通称「DOS/K」というものもあったのを、今十数年ぶりに思い出しました。